雨季ということもあり、
1日一時だが、強い雨が降る。
今、雨は上がり、心地よい風がふいています。
立川談春の「赤めだか」を読んだ。
読み終わってから
じわっと感動が押し寄せてきた。
談志師匠の最後の言葉は、実に深かった。
少しだけご紹介しよう。
『談春さんの家の近くには競艇場があって
日曜日になると子供にくれるお菓子が楽しみで
父親にせがんで連れて行ってもらっていた。
競艇場でもらうチョコフレークは格段にうまく、
談春さんにとっては、この世で一番上等なお菓子だった。
ある日、チョコフレークがビスコに替わった時は
泣いて悔しがった。
父親は80円の菓子ごときに泣きだす息子にあきれ
最後には怒り出し、競艇場の売店にあるだけの
チョコフレークを買うと
「全部食え、一つでも残したらゆるさん」と、
幼き談春さんに渡した。
3つまでは、おいしく食べれた。
4つ目は我慢すれば食べられ残りは限界で、
食べるふりをして鳩にあげていたらしい。
そして三羽の鳩は、チョコフレークを2箱ついばむと
飛び立ってしまった。
恐る恐る父親をみたら実の息子に対して
どんな感情を持てばこんな怖い目ができるのだろうと
思うような目で睨みつけていた。
「もう食べられません」
「食え」
「ごめんなさい」
「菓子をほしがるのは子供の権利だが
権利を主張するなら義務がついてまわるんだ。
覚えておけ。
一つも残さず食え。」
このとき、幼き談春さんは、競艇場のスタンドで
泣きながら権利と義務の因果関係について学んだ。
そして、未だにチョコフレークを食べると
人間の自由とは何かと考える。
鳩の無責任さを思い出すらしい。』
粋な父親ですね。
少しだけ思い出した話を書きましょう。
以前、このBlogに書いたことがありますが、
僕は、幼い頃、血の繋がっていない祖母に育てられていた。
とても、かわいがってくれて、旅館を経営していた祖母は、
お金儲けもうまく
僕が、ほしいものは何でも買ってくれた。
うちの両親は、甘やかされて育つ僕を苦々しく思っていたようだが、
言えなかったらしい。
(僕の祖母のイメージは、美空ひばりなんですよ。
だから、ひばりちゃんの特集などをTVで放映すると
相方に、「何、そんなん見てるのよ。」と言われながらも
祖母を思い出しながら、ひばりちゃんを見てしまう。)
ある日、弟と妹が、僕のおもちゃを貸してほしいと言ってきた。
祖母は、初孫ということもあり、
僕だけを可愛がってくれていたのだ。
意地悪な僕は、「やだよ。僕が、買ってもらったんだもん。」と・・・。
そんな僕の態度に父親は、キレたらしく
僕の持っていたおもちゃを、すべて燃やし捨てた。
本当ならとても悲しいことだと思うのだが、
僕の感情は、全く悲しくなく
「また、おばあちゃんに買ってもらおう」、だった。
今になって思えば、最悪のガキでした。
悲しいことだが、祖母は、僕が小学4年生の時に倒れ
7年ほど病院で過ごし亡くなりました。
その後、甘やかされることなく育てられた僕は、
自分の最大の味方がいなくなるということは、
恐ろしいと思いました。
ちょっと、長くなりすぎましたね。
では・・・また。
Shigeki HAMAGUCHI