昨日は、ちと予定あり。
夜は、勉強会の運動ゼミ。
運動の話は、ともかく
先輩・同期・後輩と時代は変わりながらも
経営者として同じ世界を生きてきた人達だからこそ
話したいことがあった。
結局は、僕の自慢話だけれども、
本当の話。
聞いてくれてありがとうございました。
こういう経験の出来る僕は、
これだけでも幸せですけど
話せる人やお店があるだけで
僕は、とてつもなく幸せだと感じる
今日この頃です。
2件目は、ピアノのある先輩のお店へ。
いつものごとく、
僕のリクエストは、
「ゴッドファーザー愛のテーマ」なのだが、
今日は、別の曲が、まだ耳に残ってます。
蘇洲夜曲。
(こっち
小田和正バージョンみっけ)
では、タイトルです。
三島由紀夫のエッセー集
『不道徳教育講座』の中の話だ。
フランスのある将軍が、
連戦連勝を続けていたとき、
その将軍に向かって
「あなたは素晴らしい戦術家ですね」と褒めた。
ところが、その将軍は、喜ぶどころか
まるで反応を示さない。
そこで、そのころの軍人としては
ごく当たり前だった髭(ひげ)に目をつけて
「将軍、あなたの髭はなんと美しいのでしょう。」と、
言ったら、将軍は、相好をくずして喜んだというのである。
人間誰しも、褒められてうれしくないはずはあるまいが、
うれしい感情というものはそう単純ではない。
そこには、2つの種類があるのだ。
1つは、「自己確認」
これは自分でもよく知っている長所を褒められた場合。
もう1つは、「自己拡大」ともいうべきで、
自分ではまったく気付いていなかった点を
他人から褒められた場合である。
比較した場合、後者のほうが喜びは大きい。
もう、20年以上前の高校時代の話だが、
ベッドで横たわり二人でイチャイチャしたいたら
その頃の彼女に、
髪を撫でられ
『はまちゃんのえりあし可愛い。』と、
言われたこと
今でも覚えている。
また、こんな話もある。
貞操堅固な女性でも
ほとんどヌードにしてしまう
通称、脱がせ屋として有名なカメラマンがいる。
その秘訣を問われると
『いやぁ、特別なことはありませんよ。
その女の子の美点を1ヶ所だけ、
褒めて褒めて褒め抜けばいい。
例えば、「君の耳の後ろは
とてもセクシーで見ているだけで
震えてくるよ。」などとテレないで堂々と
言うのにかぎります。』と言っている。
先ほどの話で、顔やスタイル・バストを褒めても
相手は、自己確認で、当たり前。
耳の後ろのように、
自分の思ってもみなかったところを
褒められれば
それで、自分の存在が一段拡大された気持ちになり、
有頂天になるのだ。
自己確認より自己拡大のほうが、
喜びは大きいのだ。
さてと、今日は、
きれいなおねぇちゃんのどこを褒めようかな。(笑)
Shigeki HAMAGUCHI