事務所へ顔をだしたら、山盛りの郵便物の中に
田中靖浩氏からのCDも届いていた。
打ち上げで
英ちゃんの歌の後、軽く音楽の話になって、
『濱ちゃん送ってあげる。』といっていた。
こういう少しの会話でも覚えていてくれて行動に
うつしてくれる、嬉しいですね。
ありがとうございます。
「
TOM WAITS」
僕は、全く知らない歌手。
早速、心で聞かせていただきます。
今日は、6,7年前の話である。
まだ、濱ビルという会社もない頃、名古屋に進出した。
初めての大型物件。
ちょうど、付き合っていた建築屋も名古屋に進出すると
いうことで、うちのマンションの1,2階を借りるという話で
建築契約した。
いい利回りも確定できるしね。
社員は、才能のある人が多く、悪い会社ではなかったが、
社長の女と博打への運転資金の使い込みにより
建築途中で、建築屋、破綻しそうになった。
その社長とは、仲がよかったので本当によく
遊んでいたが、途中から金の使い方が、異常で
僕もついていけなくて
おかしいなぁとか思い始めていた。
それに、僕は、監督や社員さん職人さんから、
その会社の状態を早めに聞かされたので、早めに手が打てた。
打ててなかったら最悪だったと思う。
今の状態はないね。
どう手を打ったかは、行間のわからない人が、読むと
非常に勘違いされるので書かない。
うちの物件は、必要な追加工事の400万ほどの工事を残し、
問題なく竣工した。
1,2階の賃貸契約が無理なことはわかったので、
どちらにしても、スケルトンだと次の入居者も決めにくいし
後で、お金がかかるので
800万ほどのお金をかけて
先に即入居できるように簡単な内装をその建築屋に頼んだ。
もちろん、相手は、破綻しそうなので、少しでも資金が
ほしいので受けた。工事も終わりその800万を請求してきた。
いやいや、先に400万の工事をしてからじゃないと払わない。
先にお金支払わされていたからね。
残りの400万分の建築をやらせ、800万の支払いも済ませ
この建築屋との縁はきった。
間もなく、その建築屋3つほど建築途中の物件があった
ようだが破綻。
裁判になったが、
金のないところからはとれないので、
結局は、下請けさんも連鎖倒産、
役員達も資産だしたり、
施主も数千万、数億のお金をだしたり、
追加融資で完成にもっていったと思う。
最後まで残っていた従業員さんも給料もらっていなかったようだ。
(僕は、裁判にでていないので、詳しいことは
知らないので、あくまでも聞いた話からの想像です。)
社長のことを恨んでいても、時間の無駄だ。
住居は、完成前に満室だったので、
僕のやるべきことは、1つしかない。
1,2階の店舗を決めること
それが、坪数が大きくなかなか決まらない。
3ヶ月ほど毎日、資料をもって名古屋中の不動産屋を周った。
まだ、僕も若く見た目も性格も、生意気。
で、名古屋も全くどの業者があるのかわからない。
要は、名古屋進出っていっても、
ソフト部分は、その建築屋におまかせで、甘えていたんだね。
飛び込みや小さなツテで、業者を探し
ただ、お願いする言葉は、1つだけ
『とにかく決めてください。
僕は、まだまだ名古屋に物件を創る。
その時に必ず御社に先に情報を流すから。
御社にとって必ずプラスになるから。』
今、思えば大変な時でも上からモノ言ってるね。(笑)
たま~に、あいつは、成金とか
ちょっとあいつ、うまくいってるから生意気とか
カゲでいう人もいるようですが、僕は、全く変わっておりません。
というか、今のほうが、昔より謙虚なんです。
あほにむかついてると時間の無駄なので、まあ、いいですが。
でも、書いているといるということは、根にもってる。(笑)
そうです。僕は、一見
竹を割ったような性格なのですが、
中には、餅と納豆と自然薯が入っております。
話は、戻り。
資料持っていっても、
ほとんどが、『はい、はい』って、感じでした。が、
3ヶ月ほど経って、とても、いい会社との賃貸契約を
ある一人が決めてくれた。
これはこれで、いろいろあったけど
ここも、詳しくは、書けない。(笑)
彼は、もう別の会社の役員でいるけど、
今でも付き合っている。
約束どおり、僕と付き合ってプラスになっていると思う。
で、僕は僕で、その彼のおかげで、
今のブレーン達とも出逢えた。
で、また、あの頃の監督、社員さん、職人さんたちと
別の会社を通じて出逢えた。
恨から始まり、行動によって縁が芽生え
信頼関係から強い円になっている。
人は、逆境の時ほど成長できる。
僕が、経験した話だから、この言葉ウソじゃないと思うよ。
Shigeki HAMAGUCHI