本日、母方の祖父が、92歳で亡くなった。
戦争にいってた方で、金に全く興味がなく、
人のために生きた人だ。
地元では、じじ会長をしていて、街のために
朝から毎日、街の掃除や警備をして、表彰されたり、
近所の人が、こまっていると家のこと
ほったらかしで、手伝ったりする人だった。
他人からは、とても人望のある人だった。
素晴らしいのは、借金も財産も全くない人なので、
相続で、もめることが全くない。
畑で自給自足の生活をし、祖母が、美容師をしてお金を
稼ぎ、(87歳にして、まだ現役)、住む家は、僕の母親が建て、
今は、僕の扶養家族になっていた。
とても、幸せな人生だったと思う。合掌。
さて、タイトルに入ります。
トルストイの『人間は、どれだけの土地がいるか』の
中にこんな話があった。
『広い土地が欲しくなった農夫が、商人とこんな契約をした。
千ルーブル払えば、1日かかって歩いた土地が自分のものになる。
そのかわり、その日のうちに出発点に帰り着かなかったら、
千ルーブルは商人のものとなる。
農夫は、日の出とともに歩き始め、あの丘もほしい、あの野原も
ほしいと欲張って遠くまで歩き続けたが、ついに力尽きて
太陽が沈むのと同時に、出発点を目前に倒れ息絶えた。
結局の所、彼に必要だったのは、その死体を埋葬するための
ほんのわずかな土地にすぎなかった。』
夢は、生きていく上で、大事なものだが、
夢が欲になってしまうと、結局は、何も手に入らない。
大切なことは、物を手に入れるということではなく、
いかに幸せに生きるか、ということだと想う。
Shigeki HAMAGUCHI